「○○さん、いつも通りこの流れで退院支援でいいですよね」
「この人はいつもこうだから、今回も同じ対応で大丈夫だと思います」
会議や申し送りの場で、誰も異を唱えないまま方針が決まっていくことがあります。
けれど、どこか胸に引っかかりを感じていた人が心の中でつぶやいているかもしれません。
「……それ、本当に大丈夫かな?」
その違和感を言葉にして場に出す。
その役割を担う存在を「デビルズ・アドボケイト(悪魔の代弁者)」と呼びます。
デビルズ・アドボケイトとは何か?
デビルズ・アドボケイトは、ラテン語の “advocatus diaboli(悪魔の代弁者)” に由来する言葉で、
本来はカトリック教会において、聖人認定の際に“その人物の非聖性”を論じる役割を担う制度でした。
つまり、どれほど評価されている人や方針であっても、それに反する視点を“あえて提示する”ことで、
盲信や過剰な理想化を防ぎ、真に妥当な結論に至ることを目的としていたのです。
現代においては、企業や組織、医療・福祉・教育など多様な意思決定の場面において、
「全員が賛成している空気の中に、意図的に異論を投じて視野を広げる役割」
として活用される概念となりました。
なぜ必要とされるのか?
組織やチームで意思決定を行うとき、人は以下のようなバイアスや現象に陥りやすいと言われます:
- 集団思考(Groupthink):周囲に合わせて本音を言わなくなる
- 確証バイアス:自分の意見に都合の良い情報ばかり集めてしまう
- 楽観バイアス:物事を過小評価・過信して判断が甘くなる
こうした心理的偏りを打ち破るためには、あえて「疑問」や「反対」を口にできる存在が必要です。
デビルズ・アドボケイトの問いかけは、盲点の指摘やリスク想定、複眼的な検討を促します。
勇気のある立場
デビルズ・アドボケイトの立場に立つことは決して簡単ではありません。
私たちは、反対されることに居心地の悪さを感じます。
会議でも、職場でも、家庭でも、「波風を立てたくない」という思いが先に立ちがちです。
それ故、反対意見を述べるには空気に流されない勇気と対話を信じる覚悟が必要です。
とくに医療や介護の現場では、1つの判断ミスが命や生活に直結します。
だからこそ、「あえて問い直す」姿勢は安全・安心・尊厳を守る専門性そのものと言えるでしょう。
注意点:過剰な批判は逆効果に
デビルズ・アドボケイトはあくまで「建設的な検討の補助」であり、
場を壊すための批判や、感情的な反対とは明確に区別されなければなりません。
誤った運用により、以下のような弊害が起こることもあります:
- 会議が停滞する
- 前向きな雰囲気が壊れる
- 「またあの人が反対している」という人間関係上の摩耗
- 責任を取らない“安全圏からの発言”になる
目的を見失った反対は、対話ではなく分断を生むことに注意が必要です。
おわりに
チームにとって本当に大切なのは、「仲がいいこと」だけではなく、
「耳の痛いことも言い合える信頼関係」があることです。
その場の空気に流されず、「本当にこれでいいのか?」と考える人。
そしてその問いに耳を傾け、支援を磨こうとするチーム。
そんな関係が一人ひとりの暮らしと命をより良い形で支えていくのだと思います。