「好きなようにやっていい」と言われることは、一概に幸せだとは言い切れないのではないでしょうか。

現代社会はかつてないほどの自由を私たちに与えています。                       働き方は正社員だけでなく、フリーランス、副業、リモートワークと多様化し、結婚や出産のタイミングも個人の自由に委ねられる時代になりました。                               スーパーに行けば無数の食品が並び、スマートフォン一つで世界中の情報やサービスにアクセスできます。

私たちは「自由に選べる世界」に生きている一方で、「選ばなければならない社会」に生きています。

この自由さが、じつは新たなストレスの源になっているのです。

 

選択肢が多いほど、満足できなくなる

心理学者バリー・シュワルツは、著書『選択のパラドックス』の中で「選択肢が多すぎると、人はかえって不満を抱きやすくなる」と指摘しました。

その理由のひとつは、選んだ後に生まれる「後悔の可能性」が高まるからです。              もし失敗すれば、「自分の判断ミスだ」と自己責任を感じ、自己肯定感を下げてしまう。          SNSが発達した今、他人の「成功の選択」が常に目に入り、相対的に自分の選択が見劣りして見えることも一因です。

 

社会が「正解探し」を求めすぎている

学校教育や企業文化の中では、いまだに「正しい答えを選ぶ」ことが重視されがちです。          小さな頃から「間違えないように」訓練されてきた私たちは、「正解のない問い」に不安を覚えます。

キャリア設計、子育て、老後の生き方──答えのない問いが山ほどある現代において、「間違いたくない」という気持ちが強くなり、選ぶこと自体がプレッシャーになってしまうのです。

 

「選ぶ力」よりも「選んだあとをどう生きるか」

私たちが今必要としているのは「正解を選ぶ力」ではなく、「選んだものを正解にしていく力」かもしれません。

選択に絶対の正しさはなく、どんな選択にも不確実性が伴います。                    だからこそ「この選択を、自分にとって意味あるものにしていく」という覚悟と姿勢が求められるのです。

たとえ迷っても、たとえ後悔しそうでも、「そのときの自分にできる最善」を選んだのならそれは立派な決断です。

 

おわりに

現代社会における「選ぶストレス」は、情報過多と自己責任社会が生み出した副作用とも言えるでしょう。  でも私たちは、選ぶことに疲れたとき、少し立ち止まって考えていいのです。

「選ばないこと」も、「後回しにすること」も、「誰かに委ねること」も、時には自分を守る立派な選択です。

自由とは「選ばない自由」まで含めて、初めて本当の自由になるのかもしれません。